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岩谷徹の版画

瀧悌三


岩谷徹の版画を、過日十数点見た。

その版画は、能面シリーズや杉の樹林の小品の静物であったが、私の好みでいうと、能面シリーズ中の、近作の墨調のものが魅力であった。それは水流に能面が浮いていたり、広 い空間の隙聞から小さな能面が見えたりしている。能面は、能という洗練の極みにある日本演劇の形式美を象徴する仮面で、固定したー表情でありながら無限の表情を暗示する不思議な存在だ。そういう能面の形式美に対して、この版画家の作品は、簡潔な黒の構成のせいで、頗る合致する映像と感じられ、私の興味をいたく刺激したのである。

では、そういう作品を産み出したこの作家は、どういう経歴か。概略はこうである。

版画家岩谷徹はパリ定住 20 年である。福島県郡山市生まれ、55 才。東京水産大学卒。企業勤めの経験があるが、版画を志して独習、 35 才の時渡仏してさらに学び、版画家として立つ。 でもパリを拠点に海外で長く活動している割りには、日本ではそう知られていない。過去 10年の間に日本で 4 度個展を開いていても、日本の美術の中心地東京では 2 度でしかない。 知られる機会が少なくて、日本で声価を得るのはこれからと いっていい。

過去 20 年の制作歴の大筋は、約 80 点の作品フィルムで、知った。

通覧すると、始めから現在まで、能面シリーズが一本の筋となって貫いている。初期は彩色があり、装飾的に華やぐ観で、近年はそれが簡素で、深い方に移っている。これが今後どう推移するか予断できないが、映像の考え方は、母国の文化美の根底を探る底のもので、これを基点に日本の美術の古式を渉猟しながら、それを脱化して現代的に新しくする道があるはずだから、その方を展開させたら、可能性広く、面白い と思う。

一方、西欧幻想派を主に他から要素を取り込みつつ映像世界を開発している。日本人作家では浜口陽三のマニエール・ ノワール ( メゾチント ) の影響が見られ、泰西作家では、ルネ、マグリット、エルンスト、デルボ一、キリコ、クレーら の要素が投影している。超現実方向で独自のものを創り出そうとする試みの跡がそれらに感じられ、その精進の並みでな いのが思われる。

この一連の制作は泰西志向である。連作としてピエロや落日が主だ、ったところだが、その方法は映像から映像を紡ぐ観 と映る。そうでなく、泰西文化美の奥底を探る考え方で、泰西固有の事物をメゾチント方式の中にストレートに映像化していけば、これはこれで一つの道が成るであろう。

結論的にいって、母国文化志向と泰西文化志向との両様備えているのが岩谷徹の版画である。二筋道は矛盾みたいだが、 日本文化は東西二元の要素で組成されているのが常態だ。岩谷徹は日本人なのだから、東西両志向があっても矛盾にならない。要は、その両様をいかに熟させ、いかに統合するかに ある。それは難しいことだろうが、難しいから遂行し甲斐のある営為であり、生涯の課題というものであろう。